石野あい子
住民同士の助け合い活動 ひえばらお助けマン互助会
ひえばらお助けマン互助会
出雲市内から南へずっと奥に入ってくと、のどかな田園風景、稗原地区。
民家の前に、ひえばらお助けマン互助会の大きな看板が立っていた。
代表を務める石野あい子さん、石野眞さんご夫妻の自宅、納屋を改装し事務所になっていた。
石野さんご夫婦のほか、事務局の高野洋子さん、飯塚康夫さん、金山富憲さんが集まってくれた。
石野さん夫妻は、10年ほど前定年を機に実家の稗原に転居してきた。
眞さんは獣医師、あい子さんは看護師として働いていた。
稗原にはまったく縁のないあい子さん、何をすることもなく、何かやりたいと、グループホームでお手伝いを始めた。
その後、介護支援専門員(ケアマネ)の勉強を始め、資格を取り 石野居宅介護支援事業所を開設した。
平成22年のことだった。
何も知らないところからの立ち上げ、怒涛のような時期だったと話してくれた。
やがて、介護支援事業をやっていくうち、介護保険では皆さんのニーズに寄り添っていないことに気づいた。
病院へ行くために、病院の支払いは500円なのにタクシー代が7000円、これでは病院へ行くこともためらわれる話しだ。
例えば、病院へ行くために付き添う、車で送迎する、お買い物に付き添う、このようなちょっとした支援が、本当に必要なのに介護保険ではできないことなのだ。
平成24年、このようなニーズに対応するため、地元有志で ひえばらお助けマン互助会を立ち上げた。
当初は、なかなか地元の方たちに認知してもらえなかった。
援助は有償、外出援助は1時間1300円、30分ごとに400円増し。
屋内外作業、家事手伝いは1時間800円。
このほか、庭木の手入れ、草刈、簡単な修理など幅広い。
これはボランティアでしょう、有償はおかしいのでは。
などと、いろいろな反応があった。
広報誌で11の自治会すべてに案内をした。
この時、活躍したのが金山富憲さん(石畑ヤギ牧場代表)、全自治会に稗原お助けマン互助会協力会員、支援してくださる人たちを集めた。
稗原に転居間もない石野さんは、金山さんがいなければ、この会は立ち上がらなかったと話す。
お助けマンの活動は、一軒のお宅から始まった。
そこから、広報誌で広がり、現在利用者さんは約80人 協力者さんは約40人に増えている。
有償の支援事業は、例えばご近所さんに頼んだとしてもお礼はどうすればいいかと悩みどころ、有償支援は、ありがたいとの声に変わっていった。
ひえばらお助けマン互助会のみなさんと
ひえばらお助けマン互助会の仲間たち
毎年、交流会などのイベントを開催している。
その一つ、子供祭り。
金山富憲さんの石畑ヤギ牧場に子供たち保護者が集まって、餌やりや宝探しなどのお楽しみ会。
第3回では、出雲農林高校の移動動物園を招待し、大いに盛り上がった。
金山さんのヤギ牧場、少しお話を聞いてみた。
知人がヤギを飼っていて、3匹の赤ちゃんが生まれた。
そのヤギを譲ってもらうと、赤ちゃんが生まれて多い時には9頭まで増えた。
現在は、5頭のヤギさんがいた、よくなれてかわいかったですよ。
毎年、稗原小学校2年生が体験にやってくる。
ヤギさんたちの名前は、この小学生が名付けたという。
よもぎ しろ たろう など、意外と普通の名前、もっとキラキラネームを付けるかと思いきや。
ヤギさんたちは、金山さんの生きがいとなっている。
時たま、除草のために貸し出すこともあるようで、ナカバヤシの工場に1か月貸し出したこともあるようだ。
やぎをきっかけに広がる絆
子供たちへの支援はまだある。
そろばん教室を始めた。
事務局の高野洋子さん、そろばんを教えていたこともあるそうで、教室立ち上げ。
小学生13人と数人の高齢者が毎週月曜日、そろばんに励んでいる。
そろばん教室の様子
事務所には、フクロウの着ぐるみ(ふっくん)とフクロウの被り物(ミミーちゃん)が置いてあった。
手芸上手な人たちの手作り、お助けマン互助会のキャラクター。
フクロウ便りという、情報誌を年3回発行している。
カラー写真盛りだくさん、カラーコピーでこれも手作り。
広報担当係のお仕事、石野眞さんは情報発信がうまい。
新聞・TVなど各メディアへ情報発信して、たくさん取り上げられている。
飯塚康男さんは、民生委員を20年以上永く勤められ、社会福祉や行政など知識が豊富、飯塚さんから、稗原は人口1701人、65才以上の高齢化率は41.2パーセントと教えてもらった。
多くの仲間が、それぞれの役割を本当にボランティアで担っている。
平成17年に発刊された『稗原郷土誌』に互助会発足の経過、活動内容が2ページにわたって記載されており、稗原地区における期待度の高さを物語っていた。
クリスマス会の様子
今後の問題点は
立ち上げから8年、利用者も協力者も8才年を取ったとういこと。
若い方に協力者になってもらいたいが、50代は働き盛りで自分のことで精いっぱい。
60才定年後もまだまだ、働く人が増えている。
老々介護になっていきそうだ。
とにかく、継続していくためにも、皆さん自分のできることで協力していく。
これこそ、互助会の在り方のようだ。
若い人たちにも、ひえばらお助けマン互助会の活動を知ってもらうことが大切。
子供祭りやそろばん教室など、子供たちの保護者へのお知らせをやっている。
身近に感じて、関心を持ってもらいたいと話す。
介護保険の利用から漏れた人たち、ニーズがあるのに介護保険事業では助けられない。
そんな現実から ひえばらお助けマン互助会は始まった。
このような活動をしている任意団体がほかにはありますか?
知識豊富な飯塚さんに聞いてみた。
ないでしょうね。
立ち上げにあたって、事故があったら、けががあったら、などなど問題点を考えすぎてなかなか、立ち上げられないことが現状のようだ。
石野あい子さんというリーダーがいたから立ち上げができた。
石野さんも高野さんも町外からやってきた人たち。
いわば、よそ者だからできたのかもね、そんな話になった。
ひえばらお助けマン互助会の活動は、注目されていて、各地から視察にやってくる。
宮城県女川町からの視察があった。
出雲市・松江市・安来市・益田市・邑南町・雲南市の各自治体からの視察もあった。
先日の新聞に100才以上の人口比率、第1位が高知県 第2位が島根県
高齢化社会、地域のことは地域のみんなで助けあう。
互助会の精神、素晴らしい活動だと思った。
この活動に賛同し、多くの法人・個人が賛助会員として、資金協力をしている。
1軒から始まった、お助けマン互助会、この輪がどんどん広がっていくことを願っています。
(2019年9月 取材)